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ブラジル移民の苦労を知る

by shingo
<今日はこんな日>
・岡田夫妻と再会
・たこ焼き、大福、シュラスコを食う。
・移民資料館 見応えあり
・サンパウロチャンピオンカーニバルを見に行く。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1908年に日本からブラジルへの移民が始まったとき、渡ったのはわずかに791人。

それから100年が過ぎ、現在では130万人の日系人がブラジルに暮らしているそうです。
日本から南米へ、数多くの人が移民として渡ったことは知っていました。

でも、移民の人々が異国の地でどのような生活をし、どのような苦労を抱えていたのか、想像の域を出ることはありませんでした。

今日、リベルダージにあるブラジル日本移民資料館を訪れ、多くの写真、映像、農具などの展示資料を見学してきました。

 - 初めは主にコーヒー農園の人手を補うための移民だった。

 - パナマ経由で45日、ケープタウン経由だと60人かかった航海。 船の上では、船内新聞や船内学校があり、ポルトガル語講座もあったとか。

- コーヒー園で金が貯まった者は、奴隷同然の雇われ農夫からの脱却を目指して、原生林を開拓しはじめる。 しかし、一からの農地開拓は、日本とは異なる土壌や気候、そしてコレラ・マラリアといった疫病との厳しい 戦いで過酷そのもの。実際、死んでいった移民も少なくはなかった。




 - 作業道具や生活道具は日本から持ってきたものだけでなく、ブラジルの作物に合わせて改良するなど様々な工夫が施された。

- 第二次世界大戦ではブラジルと日本が対立したため、邦人紙廃刊や日本人学校廃校など移民に厳しい制限がと られた。また、移民内部で敗戦を信じないグループと受け入れるグループとの対立が起こったことは、『日本移民史で最も暗い時代』とされている。




これらのことは移民の歴史の一部ですが、遠い異国の地でこのような厳しい時代を日本人が過ごしていたことに、まず驚きを感じずにはいられませんでした。

現在に至るまでそのパイオニア精神が引き継がれ、ブラジル各地で成功を収めている人が数多く存在することに畏敬の念を抱き、また、移民が導入した、い草やお茶などの作物、日本型の効率的な農法が、ブラジルの農業に大きく貢献していることを同じ日本人として誇りに感じました。

ひとつひとつのパネルを追っていくにつれ、どんどん移民の歴史に引き込まれ、随分と長いこと資料館に滞在してしまいました。

サンパウロに来て良かったと思いました。


仲良しおじさん二人組(本文とは関係ありません)


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